他人に対してゴマをする。

これを、
卑怯なことと言うが、
騙される方も悪いのだ。



相手がそうやって擦り寄ってきても、
相手しなければいいことだし、
世の中そんなに甘くはないのだから、当人同士の問題で済めば誰も被害に合わないで済むはずだ。

だから、
そうやって楽しくいられればみんなが幸せだ。
それが他人を巻き込むのであれば、
絶対にただじゃすまないんじゃないだろうか。


人は常に、誰かと楽しく生きたいものなのだから。
覚えれば覚えているだけいいものが知識。
だが、
それを使えば使うだけ嫌がられるのも知識。

頭と武器は使いようなのだ。
どんなものにも勝てないくらいの輝きがあるのなら、
その才能を伸ばすべきだ。


誰にでもある才能も、
もしかしたら誰よりも強い能力かもしれないだろう?
好きに生きている人間。


なにかに縛られている人間。

常にそういう人間を見ていると、縛られていような縛られてなかろうが、送っている人生に大差はないとわかる。



人間なんて、
みんな同じなのだ。
好きな人がいることは、
強くなれるということだ。


誰かを愛していれば強くなり、愛せないと強くなるには困難がつきまとう。




人はだれかを愛さざるをえない。
どんな状況でも、
恨みや嫉妬よりも強い感情なのだ。
どんな行動も、感覚が重要だ。



どんな几帳面でも同じことは同じことに起こらず、
常に新しいことが現在では起こっている。






いつも同じなんてことはない。
新しい行動が、新しい世界を生むのだ。
技術とか知識なんかよりも、



圧倒的パワーと破壊力の一撃のほうが圧倒的に有利だ。

そんな超攻撃に、
時間をかけなければ倒せないのならば、
絶対に不利でしかない。





しかも、
超パワータイプは絶対にその破壊力のためにその分を余裕で確保できる耐力を鍛えているものだ。
アニメや漫画のように、
簡単に勝てる相手ではない。
人は人それぞれ違う。



好きな人も違うし、
気に入るものも違う。



同じようなことが好きな人間が何人も集まってサークルなどを作り、
好きなことをして生計を立てる人もいる。



それが、社会だ。
謎謎謎。




謎だらけ。

まったく意味がわからないことがあったりするのが世の中だ。





人の世界には、
そんな謎がいっぱいある。
そんな謎を数多く人生で見ていきたいものだ。
「一族の誇りを持て」
とか、
「家族の代表なんだから」
とか、


正直私の場合どうでもいいことなのだ。
私は長男だが、
その一家の代表として立派に生きたいとか、
そういう情熱はまったくない。




これからの家族をどうやって養うのか、
くらいにしか考えていない。
それくらいに、私は無難なのかもしれない。
だが、
このご時世、こういう家庭もいいではないか。