仕事も行動も、
感覚勝負だろう。



そこにピーンって感じがすると、とてつもなく気持ちがよく行動ができるもんだ。

そして、
成功するもんだ。





人なんてもんは、
そうやって生きていってもいいではないか。
人生に特別なんてない。


すべてが必然で、
誰かの何かが原因となってその自体が起こっているはずだ。




なにかが違えば、
その環境にいる何かが特別強い影響があったのだろう。
仕事を覚えられないのであれば、
スマホでもいいからメモをとることを覚えよう。



仕事内容を仕事終わりに復習しておくと、
その日に覚えられなかったことも意外とあるものだ。



仕事や買い物で覚えていられないと思う場合は、
メモを取って対策をすればいいのだ。
絶対的規律があっても、
其の規律を守り講師する側が問題ではいけない。




その生き方人生にも、
それを構成する物質あり。




そして、
其の人生にも、他の人生あり。
失敗しても凹んでも、
また立ち上がって成功するといい。


でもね、
ただ成功しただけであれば、
失敗の恐怖も知らないし、絶対に人生は何かしら失敗するから、
立ち上がるのに苦労する。





失敗も立ち上がる強ささえあればまた立ち上がれる。
そうやって、
成功者は前に進んでいるんだ。
絶対的に強い人間も、
生まれた時は赤ん坊で、一番弱かっただろう。




だが、
成長して強くなり続けるうちに最強になるのだろう。


だからこそ、
大人になっても弱い人間は、
それよりも上を目指せるのだから努力の分だけ上に行けるのだ。
最強である最大であるトップは、
絶対に最強だが、
一番下にいる人間たちを恐れないはずもないと私は理解している。
そもそもテコ入れをする必要があるのだろうか?


なんににでも不完全はあるものだし、絶対に完成されたものはない。
まあ、
だからこそ、テコ入れの必要がある場合もあるのだろうが。
生きる目的は人それぞれだ。

永遠にその目的を目指すこともあるし、
目的を達成したらすぐに切り替えるものもいる。
目的とはすなわち、
達成するまで最高の存在だ。
何から何まで、
正義感というものは強い。




正義感を持つことで人を守り、正義感を持つことで何かをなし得る人は多い。



その正義に意味があるのであれば、持っておいて損はないのではないだろうか?
物の価値は人それぞれで違う。

骨董品でも興味が無い人からしたら普通に食卓で出す皿として扱うほどになるだろう。
人とは自分が主体だ。



だからこそ、
絶対的に儲ける方法はないし、絶対的に万人に受ける手段はないのだ。
勝負というのは一期一会だ。


戦って勝っても負けても次に会うときにはもうその相手は違う相手で勝敗は二度と取り戻せない。
勝負とは絶対に決着がつく。


次はない。
絶対に。
物事には、
簡潔に告げなければいけないような物事がある。



たった一瞬の迷いでも意味がなく、
その人に大変なことがあったときとか、誰かが何かしらの状態でまずかったりとか、
そういう状況がある。




人に対しての回答方法は、時と場合なのだ。
私は、
適当が好きだ。



適当に生きて適当にふらついて適当に人生を進むのが好きだ。



適当っていうのは楽しめなければいけない。
適当に何をしても楽しくなくては適当ではいられない。



・・・変わっているだろうか?