行動や方法は、
時間が経つ度常に移り変わる。


其のときに行動しようと思っても、次の瞬間には意味がなくなる。




何事も、
思いつきは大事なのだ。
物事に何でもかんでもカテゴライズする必要なんてないのだ。




その物事を常に意識して常に向上していくことが重要なのだ。
例えばそのカテゴリーが組み合わさってできたりするものもあるし、ある種そのカテゴリーのおかげで出来るものもある。




例えば人も、
そういう意味では自由なのだ。
フルスロットル。




緊急時には絶対になければならないものだ。

別名火事場の馬鹿力。




限界を越えてみて初めて分かることがある。
火事場の馬鹿力も、
まだまだ全力じゃあない。
人は別に最強にならなくてもいいのだ。

ただ、
最高に素晴らしくなるか
最高に強くなるのか
だけは決めておいたほうがいい。

どちらも最高だろうが、
どちらも手に入れるのはひどく困難だからだ。
カッコつけるな。



そんなに立派な人間じゃないだろう。

そう思えば思うほど、
強さを誇ることがいかに困難か思い知らされる。



だからこそ、
カッコつけるのは本当に強くなってからだ。
いつまでも全力で。


時には叫びながら限界を超えるのもまたいいことだ。


それくらいに「スーパー」にあふれるやる気があれば、
どんな困難も大抵は乗り越えられるだろう。
誰かと砂漠にしても誰かを貶めるにしても、

絶対にそれが真実なのか確かめられる時が来るのだ。
その真実に対して私たちは抵抗はできず、
完全にウケてに回らなくてはならないものだ。


それくらいに真実というものには価値がある。
だからこそ、
真実は話すべきものではないのだ。
これだけでいい。




生きるのにこれだけでいいと思うようなことがあるだろうか?


例えば無人島に流れ着いたらというと、
人それぞれで必需品がちがうというけど、
必需品にさえもある程度の許容条件がある。




簡単に言うと、
何もない世界に持っていけるものは、命と体しかないものだ。
記事を書くのはスピード勝負だ。

早くかけないと記憶が続かないし、
思考回路を回すだけ記事の数は減る。
アイデアとは思いつきだ。

その一瞬のひらめきを忘れてはならないのだ。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。
世の中に絶対はない。


絶対に成功するビジネはないし、
絶対に人を幸せにする方法なんてない。



絶対というワードは、
人をときめかせる。
だがそこで一つ、
考えてほしいのだ。
絶対ではなくても可能性のあることは、やってみるといいのだ。
仕事を覚えられないのであれば、
スマホでもいいからメモをとることを覚えよう。



仕事内容を仕事終わりに復習しておくと、
その日に覚えられなかったことも意外とあるものだ。



仕事や買い物で覚えていられないと思う場合は、
メモを取って対策をすればいいのだ。
マトモな考えというのは、
誰もが同じ領域で考える範囲なのだろうか?


真面目な話、
それ以上に意味があるならばそれ以上にマトモな案があるし、
人間というのはまともな意見というものが絶対的解決法だったらそれを受け入れることが出来るのだろうか。


それくらいに、
マトモすぎる意見はかなりの確率で恐いものなのだ。