本当に意味があることなのかは別として、
味覚というものには酸味を感じる機能があるのはわかるはずだ。
それと同じように、しょっぱいや甘酸っぱいっていう感情もあるのは人間ならばわかるはずだ。
人間っていうのは、
意外と味覚と同じように脳も味を感じているのかもしれない。
どんな未来が来ようとも、
現在に生きている人間の殆どはまったく気にしていないだろう。
むしろ、
気にしていたら病気だって思われる。
さらに、
人生の殆どを未来につぎ込むのが人間だから、
いちいち立ち止まっていられないのもあるのだろう。
どちらにせよ、
未来はとてつもないことであっても、
現代では平和なのだ。
他人に対してゴマをする。
これを、
卑怯なことと言うが、
騙される方も悪いのだ。
相手がそうやって擦り寄ってきても、
相手しなければいいことだし、
世の中そんなに甘くはないのだから、当人同士の問題で済めば誰も被害に合わないで済むはずだ。
だから、
そうやって楽しくいられればみんなが幸せだ。
それが他人を巻き込むのであれば、
絶対にただじゃすまないんじゃないだろうか。
人は常に、誰かと楽しく生きたいものなのだから。
まともに認められないことは悲しいものだ。
認められることに何かを感じるよりも、
認められることそのものが嬉しいと思うものだ。
私はだから思うのだ。
認めないことで相手に与えられる優しさがあるのではないだろうかと。
世界は広い。
その広い世界で唯一人自分というものがそれぞれいる。
その世界で何をするかはその人次第。
だがそれも、
また一興なのだ。
相手になにか言われることがあって、
相手に遠慮する必要はない。
なにせそれはあっているのだから相手は言うのだ。
だからこそ相手は絶対的に調子ののってもたいしてなんとも言えない。
まさに、
完全勝利だ。
水というものは一箇所に固まるものだ。
雨だって最終的には海に流れ着いて一つとなる。
水は人と同じだ。
流れに流れてどこかにたどり着き、最終的に何かと一緒になるものだ。
世界には二つある。
自分の世界と、
世の中の世界だ。