愛情や友情など。

人からは様々な「愛」が得られる。
その愛とは全て人の気持ちからなるもので、その人以外からは絶対に同じ愛は得られないようにできている。
人のコピーは機械にもできない。


もし人間が機械に勝てるのならば、
その環状というものが唯一なのではないだろうか。
自分に従事るものを眷属という。



その眷属とは支配ではなく、真っ当な従属関係である。


つまり、
その人間を信じて付き合うことである。





眷属というものは絶対的ではない。
だからこそ、
主従のよう主が強制的というわけではないのだ。
性別っていうのは、
なにかしら意味があってつくものじゃあない。



性別とは、
その人が生まれるときにあるカテゴリー概念であり、
その性別は別に人生に影響するわけでもないしそれが理由で挫折することはない。





性別っていうのは、
それがあるから困るわけではないのだ。
常に新しくあり続けよう。



そして、
常に最新であろう。
常に追い求めよう。





そうして前へ進んでいくのが、人間であり科学者である。
限界以上に力を使い切ることをする必要はあるのか?


絶対に成功させたいビジネスがあるとして、
本当にそこまで必要なのかというくらいに必要な力を発揮できるだろうか?




それでもいいのだ。
ここ一番頑張らないといけないときに頑張れなくて、どうするのだ。
人は睡眠中にそれらの情報を分別する。


人は必ず、
どこかで要らなくなったものを処分するし、
人は必ず、
どこかで整理整頓をしなければいろいろなもので埋もれてしまう。




人にとって、
これだけ必須なものはない。
物事を分別して考えるのは大事だ。
もし本当に誰かを守れないと思った時は、全力で暴走してもいいと思え。



その力が体の全リミッターを開放し、
相手の力をなぎ倒せるかもしれない。


まあ、そこまで鬼気迫った状況などないだろうが、絶対に守りたいのならば許せないことを許すべきではないだろう。
宇宙にも限界がある。



宇宙とは常に拡大し続けているが、
実質問題、
拡大しているだけでどこかしら許容限界があるのだ。



だからこそ、
人間もそういう可能性を広げ続ける宇宙のような気持ちで生きてみたら、楽しいのではないだろうか?
どんなことにも成果を求めよう。


どんなことにも成果を求め、
失敗はフィードバックしよう。



勝てることが勝利ならば、
そのために努力しよう。
どんな努力も、その成果の積み上げにより達成されるのだ。
時にはぶらりと旅行する。


そんな
人生のひとときも悪くない。



人の人生とは人それぞれだ。
しかし、
人は一時でも休まずに生きることはできないのだから、
ゆっくり休息でもとるのはどうだろうか?
大きな枠組で言えば、
人間は自然の中に存在する一種族である。

だから動物たちは自分たちと同じ弱肉強食だと思い戦いに降りてくる。

一方人間は私達のテリトリーには入るなと、
動物たちを遠ざけようとする。
人間はそんなに偉いものなのだろうか。
己の力だけで、
他人に頼らずそれで食っていける技術を持つものを、
プロという。




人とはなにかしら真似出来てそれをすれば強くなれると思うのだけど、
それは大きな間違いなのだ。
人が楽するのは当然なのだ。


人は人生をサボりたいものだし、
どうしても怠惰に生きることが性分になってしまう。





でも人はそれでも
変わろうとする。
それがまた、いいのだ。